【優駿】思い出のダービー馬-2-

 昨日は初めて見たダービー馬。

 今日は一番声を出したダービー馬とでも言いましょうかね・・・

 1990年(平成2年)の第57回のダービー馬『アイネスフウジン』が思い出に残る1頭です。
 
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 9月の中山開催で新馬デビューしましたが2着に敗れ同開催で再び新馬戦に出走(当時は同開催で2回まで新馬戦に出走できました)しましたが2着に敗れました。続く10月の東京開催の未勝利戦で勝利します。
 そして12月の朝日杯3歳ステークス(当時は馬齢を生まれた時が1歳で数えていました)へ挑戦します。5番人気ではありましたが1000Mを56秒9というハイペースを作り後続の脚を成す術も無くしレコードタイのタイムで圧勝してJRA賞最優秀3歳牡馬を受賞します。

 明け4歳となり初戦に選んだのは共同通信杯でした。1番人気に支持されその期待にしっかりと応え勝利。

 続く皐月賞トライアルの弥生賞では不良馬場が堪え4着となり、クラシック第一弾の皐月賞では直線での不利もあって2着と敗れます。

 そして大一番のダービーでは3番人気でしたが、スタートからペースをつかみ、一度も先頭を譲ることはありませんでした。しかも骨を切らせて肉を断つ戦法とでも言いますか、自分も苦しいが相手はもっと苦しいレースを選択しました。結果、2分25秒3のタイムで2着のメジロライアンに1馬身1/4差で退けダービー馬と輝きました。

 そのダービー馬に向けたこの日東京競馬場に訪れた20万人の観衆が称賛を口にしたのが『ナ・カ・ノ』コールでした。これはこの時誰からとでもなく自然に起こったことでした。

 ボクもスタンド前で見ていましたがホントに自然にアイネスフウジンを鞍上の中野栄治騎手をナカノコールで讃えていたのです。

 中野栄治騎手と言えばお世辞にも勝利数が多い騎手ではありませんでしたがこのアイネスフウジンにはデビュー方一貫して騎乗していましたし騎乗スタイルも全くブレていませんでした。まさに人馬一体だったと思います。

 またこの時の枠連(まだ馬連は登場していません)770円の馬券は5千円だったか1万円だったか忘れちゃったけど確か1点で仕留めたと思います。

 まぁ、20万人の東京競馬場も後にも先にもこの時の1回だったし、勝利騎手をたたえる初めてのコールも体験したし大声を出した思い出に残るダービーでした。

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