【追憶】あの日・・・

 昨年の3月10日に記したブログです・・・

 『明日は3月11日。

 4年前のこの日は神田淡路町の大型プロジェクトにいた。

 金曜日の午後3時を迎えようとしていた。「明日は土曜日で休みだし今日は仕事を早めに終わらせて帰ろう」等と思いつつ、再開発のパンフレット作成のため販社との打合せを電話でしていたときだった・・・

 未だかつて無い規模の揺れ。尋常ではないのは直感的にわかった。即座に外に出てタワークレーンの状態などを確認して広場に避難した。それでもまだ続いている揺れと目の前にあるいくつもの建物がブランコのように激しく前後に揺れている。

 学生時代に構造力学で学んだとおりの周期で建物が屈曲しながら揺れている。そこから先は余震におびえながらも職場の人達は歩いてでも自宅へと向かっていった。

 ボクは横浜なのでさすがに歩いて帰るのは無理。パンフレットの編集の追い込みでもあったのでその日は完徹で仕事した。余震と言うには大きすぎる揺れの中で正直「このまま帰れないのかな・・・」と目の前が明るくなることはなかった。そして徐々に明らかになる東北の惨状。その光景を携帯ワンセグで見ながら、ラジオを聞きながら次々に入る被害の規模に恐ろしく感じていた・・・

 翌日、少しずつ電車が動き出したので午前10時過ぎに帰宅についた。普段は1時間くらいで帰れるところを3時間くらいかかったはず。

 そこからは天災に覆い被さった原発の脅威。その負の遺産はこの先何十年も未来の人達へ受け継ぐことになる。申し訳ないことである。

 この未曾有の天災を機に人々は互いの命を尊ぶ世の中になった・・・はず。世界各国の方々も日本に対して温かい心を向けてくれていた。


 

 あの日から1日、1日と離れていくたびに世の中はまた緩みだしている。

 人の命はどんどん軽く思われているようになっている。

 あの日に戻りたいとは絶対に思わないけどあの頃は日本人が心一つになっていたと思えてならないんだ・・・

 そんなことをついつい考えてしまう今年の3月10日です。

 
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