名将の言葉

 夏の甲子園に向けて各地で激しい戦いが繰り広げています。今年も夏の甲子園が楽しみな季節になってきましたね。

 高嶋仁

 この名前を聞いたら高校野球ファンなら誰でも知っていると思います。

 和歌山県の智辯和歌山高校の監督です。
 
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 智辯和歌山高校と言えば、全国でも屈指の強豪校です。春1回、夏2回の優勝を始め56勝を挙げている学校です。

 そして高嶋監督は1980年に同校の監督になりましたが以前は奈良県にある系列の智辯学園の監督を務めていました。その戦績は通算63勝で史上最多勝監督の座にいます。

 さて、そのような監督でも最初から順調であったはずはありません。

 奈良・智辯学園で甲子園に出場を何度か繰り返した1979年に理事長から新しくできる和歌山高校への転勤を伝えられます。その時、和歌山高校の部員(といっても、その時は同好会だったそうですが)は15名くらいいたそうです。その中にはなかなかの生徒もいたそうで内心、いける感触は持っていたそうです。

 そして翌年正式に和歌山高校へ転勤となり同時に野球部の監督に就任したそうです。

 初めての練習の日・・・グランドには3名。

 監督:『他の子はどうした?』
 部員:『辞めました』
 監督:『なんで?』
 部員:『凄い監督が来るらしいので、猛練習で殺されるらしいと言ってました』

 こんな事から始まったそうです。

 そして何とか戻ってきてもらって始めた練習はというと・・・

 満足にキャッチボールも出来ないレベル。

 体力トレーニングも奈良でやっていたことが全く出来るような体力が一つもなかったと言います。

 そんな彼らに一番わかってもらえるのは相手とゲームをして体に覚えさせることと思ったそうです。

 そこから監督は県内の各校に練習試合を申し込んだそうですが返ってくるのは剣もほろろの言葉ばかりだったそうです。その時高嶋監督の胸の中には、『今に見ておれ・・・』と思ったそうです。

 そして一人の監督に相談をしたそうです。徳島・池田高校の蔦文也監督です。

 無理を承知で練習試合をお願いしたら、『すぐ来い』と一言だったそうです。
 当然当時の池田高校と言ったら全国制覇をするような学校でしたから、試合になるはずはありません。その中で和歌山の生徒達は泣きながらゲームをしたそうです。その悔し涙を見た瞬間に高嶋監督の中には『こいつらなら・・・』と言う思いが湧いたそうです。

 悔しい思いをした人間はそれをバネに必ず伸びるという信念がありました。
 次の日からの練習では監督の言うことがすぐに体で実践できたとも言います。

 そしてその年の夏の和歌山県予選1回戦。相手はその年の優勝候補にも挙げられていた高校だったと言います。
 誰の目にも智辯和歌山なんて新新校に勝ち目があるなんて思ってもいません。

 ところが・・・結果は5-3で勝ってしまったそうです(笑)

 その後6年目で甲子園に初出場するそうです。

 高嶋監督の言葉の中には野球で勝ち負けする結果はもちろん大事だがそこまでに来る悔しさをどう活かすか・・・と言うことが高校野球を始めどんな世界でも必要だと言うことです。


 

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